自閉症スペクトラム障害をもつ人には,世界はどのようにみえているのでしょうか?本書では「記憶」「感覚」「認知」などをテーマに,自閉症スペクトラム障害をもつみほさんと,保護者のくみこさんにご執筆いただき,そのうえで言語聴覚士として活躍され公認心理師でもある藤原加奈江先生に神経心理学の観点からご解説いただきました。異なる三つの視点から捉えることにより,自閉症スペクトラム障害の理解を深めることができる一冊です.
関連書籍
ページの先頭へ戻る
目次
はじめに
A 記憶
1 エピソード記憶
2 産道を通った記憶
B 感覚(聴覚・触覚)
3 聴覚 ~音の渦~
4 触覚 ~抱っこの恐怖~
C 認知
5 視覚認知 ~奥行きがわからない~
6 顔の認知 ~お母さんの顔がわからない~
D 言語・コミュニケーション
7 非言語性コミュニケーション
8 言語(話し言葉)の習得
9 文字の習得
10 構音 ~苦手な音の発音~
E 注意・実行機能(セルフ・コントロール)
11 注意機能
12 セルフ・コントロール
F 構成行為・運動
13 運動 ~手が思うように動かない~
G 対人心理
14 共感覚 ~人のオーラがみえる~
15 愛着
巻末資料
みほさんの成育歴
中学校3年生のみほさんより~中学校の卒業研究~
大学卒業後のみほさんより
おわりに ~執筆を振り返って~
<編集部注>
みほさんがご執筆された部分は,なるべく手を加えずに掲載をしています.また,固有名詞についてはアルファベット表記等としています.予めご了承ください.
ページの先頭へ戻る
序文
はじめに
●みほさんとの出会い
初めてお会いしたのは,みほさんが小学校6年生になろうとしているときであった.みほさんは話し言葉も文字も習得していたが,重度の発達性発語失行(D?8)や発達性失行性失書(F?13)のために表出が困難で,何もできない児童として小学校4年生まで支援学級にいたとのことである.たまたま産休代替の講師が担任になってみほさんの能力に気づき,それからみほさんの希望で通級が始まり,急に世界が広がって1年以上が経過した頃である.話せるようになりたいという希望をもち,通っていた小児科の心理士にその思いを告げ私への紹介となった.当時は気持ちとは裏腹に,慣れない場所ということで椅子に20秒座っていることも困難なほどの多動性があり,大学病院の外来診察室という環境では,すぐに言葉の訓練が開始できる状態にはなかった.みほさんはベッドをみると横になることが多く(みほさん曰く「ベッドがおいでおいでと誘う」らしい),初期は寝た状態で評価を行うことが多かった.
発話はモーラごとに区切られた不明瞭な母音がほとんどで,お母さんの通訳が不可欠であった.しかし,その話の内容には論理性があり事実を正確に伝える力が十分うかがえた.もう一つ気づいたのはみほさんが自分からは何もいわない,あるいは伝えたいことがあるということをジェスチャーや視線などほかの手段を使っても表現しないことであった.お母さんが抱える困難はたくさんあり,ついついお母さんと話すことが多かった.お母さんの話の途中でみほさんのハミングのような発声が少し大きくなるときがあった.気になって「みほさん何か言いたいことがある?」「みほさんはどう思う?」と聞くと,すらすらと話し始めた.どうしていいたいことがあったら自分から話さないのか聞くと「自分から話してもいいということがわからなかった」,また,「どのタイミングで話していいかわからない」と答えた.自閉症スペクトラム障害のコミュニケーション障害の深さを改めて実感したときであった.
もう一つ驚いたのは,乳幼児期の記憶があるということである.確かめると胎児期の記憶もあるという.「今まで誰も聞いてこなかったので話さなかった」という.中学校の卒業研究で自分史を選択し書いたもののなかには,生まれたときのことが書いてあった.機会が設定されれば表現するとわかった.
中学,高校,大学とみほさんの第一の目標は学校で学ぶことであり,それを実現するために通訳としてお母さんが毎日同行し,無事大学を卒業した.大学院進学を希望していたが残念ながらその道は開かれなかった.
さらに大学を卒業するにあたり将来何をしたいかと聞くと,すでにその頃,依頼されて自閉症スペクトラム障害の当事者としての困難や支援への希望を書いたり講演したりしていた経験もあり,このような活動を通して自閉症者と非自閉症者のかけ橋になりたいとのことであった.みほさんの感覚,記憶,認知,言語コミュニケーション,注意,行動コントロール,愛着の違いは際立っており,経験上,自閉症スペクトラム障害を理解するうえで支援者の一人として私自身非常に役立った.特に乳幼児期からの記憶があることは発達上のさまざまな仮説を検証するうえでも重要であった.そのことを告げ,みほさんの体験を書いて広く伝えてはどうかと提案すると,是非したいとのことで今回のプロジェクトは開始となった.
●方法論
テーマのいくつかは,お母さんからのみほさんの困った行動の相談から生まれた.例えば「教室からの脱走事件」,どうしてそうしたかを聞いていくと,どうも奥行きの感覚が欠如していたらしいことがわかった.視覚認知について質問をし,その答えとしてみほさんが原稿を書く.不明瞭なところは更に質問を重ねた.また,いくつかのテーマは長年ともに取り組んできた言語・コミュニケーション上の困難さを取り上げた.そしてこれらを脳機能の観点から神経心理学的分類に準じて感覚,認知,記憶,言語・コミュニケーション,構成行為,実行機能としてまとめた.抜けているテーマについては上記同様,まず,私が質問を用意し,それに答える形で書いてもらっていった.
例えば「注意機能について」であれば,次のような流れである.
「今日は注意機能について質問をします.それに答える感じで原稿を書いてみてください.
①何か興味があったり好きなことに集中することが難しいですか? どのくらいの時間だと集中できますか? そのとき,周りが騒がしかったり動いていたりすると集中力はどうなりますか?
みほさん:好きな事でも,集中をするのは難しいです.集中できるのはたぶん20分が限度かと思います.動いたりしたのがわかった時点で,集中力はなくなってしまいます.
②ある場所に行ったとき,まずは全体を見回しますか? それとも何か興味を引く物に注意が固定して周りを見ることはしないですか?
みほさん:多分知らない場所に行ったときは,入り口で判断してしまいます.全体を見まわす余裕がありません.よく行くお店だと,好きなもののある場所を知っているのでそこを見るようになります.そこにあるものが私を誘っているように,キラキラ輝いて私を誘ってくる時もあります.
③授業などで先生の声に集中したいけれど,別なことが気になって集中できないことがありますか? また,周りがちょっと騒がしいと先生の声が聞こえにくくなりますか? どうしても先生の声など自分が集中したいときに何か工夫していますか?
みほさん:集中できないほうが多かったように思います.それは,先生が話している時に,誰かが動いたりするのが目に入ったり,誰かが声を少しでも発したりすると集中が途切れてしまいます.騒がしいとどの音に集中したらよいかがわからなくなってしまいます.工夫とは言えませんが,薬を服用してからは,少し自分でコントロールできるようになりました.
④あることをしていて,次のことに切り替えるのが難しいですか? 難しいときとそれほどでもないときがありますか?
みほさん:切り替えがスムーズにいく時と,全くいかない時があります.大人になってやらなくてはいけないと思う時には,イライラしながらでもやらなくてはいけない事が出来るようになりました.効率は凄く落ちます.」
上記のように質問に対してみほさんが答え,これを基にみほさんが原稿を書き,それを読んで更に私が質問をするという手順で行った.みほさんの書いたものは時にテーマから脱線していても,なるべくそのままにした.
途中までプロジェクトを進めたときに,よりそのときの状況を明確にするためにお母さん(くみこさん)にも質問に答えていただくことにした.事実関係が確かめられると同時に,保護者の視点が得られたことは貴重であった.更に内容を理解するのに役立つと思われる基本的な神経心理学的知識と私の見解を加えた.
●本書のタイトル
この20年,みほさんをみてきて,その困難さを一言で表現する言葉を捜し,「分散脳」に行き着いた.自閉症スペクトラム障害の発現メカニズムについては「心の理論」「中枢性統合理論」「ミラーニューロン障害説」「実行機能障害説」などに始まり,現在もさまざまな説が提唱されている.コミュニケーションと愛着は「乳幼児期の人への関心の薄さ」が大きく影響しており,「心の理論」の重要性を示唆している.他方,認知,記憶,言語,実行機能などをみると,情報を統合して新たな意味を作り出すこと,つまり「中枢性統合理論」の困難さが際立っている.みほさんは個々の優れた能力を新しい環境で活用することができないままに,極めて制限された行動を強いられている.手の基本的な運動機能は備わっているのに,書こうとする文字もわかっているのに,自分の思った方向と違う方向に手が動く.脳機能がバラバラ,分散しているように感じる.そのような脳をもちながら一歩一歩,前進していく姿を伝えたかった.
●本書の執筆プロセスの認知等への影響
プロジェクトの提案は数年前に遡り,一部を書いてはさまざまな理由により中断し,また再開した経緯がある.みほさんの場合,自発的ではなく誰かからの質問や執筆により,内省が始まる印象があり,今回の執筆自体が経過とともに内省に影響を及ぼした可能性は高い.質問はできるだけ客観的見地から行ったが限界はあるので,それを考慮して読んでいただけると幸いである.一方で執筆を通してみほさん自身のさまざまな気づきがあり,このようなやり取りや執筆が支援の一助になりうる可能性を実感している.
なお,本書の最後に,みほさんが中学校の卒業研究で書いた自分史と,大学を卒業した後に書いた作文を加えた.みほさんがいう私からの「お題」がない状態でのものである.どちらもその時点での振り返りとなっている.脳機能の視点からみる神経心理学的アプローチとは異なる視点からみほさんを語る貴重なものと考える.
2021年11月
藤原加奈江