2454不安とうつの統一プロトコル 診断を越えた認知行動療法 臨床応用編
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55大うつ病性障害に対する統一プロトコル第5章し,これはおおよその目安として使用し,ほかの曝露も適宜追加した。1週間,ジョンは感情曝露として位置づける活動に取り組んだが,それらはセッションで話し合われたものもあれば,本人が独自に実施してきたものもあった。 たとえば,ジョンは最も苦痛を感じる状況や,回避をしそうな状況として,以前所属していた大学の野球チームの試合を見に行くことを挙げていた。これまで数か月間は,そのことを考えると,それをきっかけにアルコールを摂取してしまうほどの不安が生じた。ジョンは,この状況が不安・パニック・悲しみ・恥・怒りを含む,強い,しかし複雑な感情反応を誘発すると予測した。ジョンは,もとの大学に戻ったとしても,野球をしない可能性はあるが,それでも結局様々なリマインダーにさらされるであろうから,この曝露の重要性を認識したと話した。ジョンは,治療者の知識や助けに頼らずに,テニスをする計画を立てていた友人のグループに参加することに決めた。ほとんどテニスの経験がなく,大変な苦労をすることが予測されたにもかかわらず,である。 仲間の前で十分な運動能力を示せなければ,不安・悲しみ・恥・怒りのきっかけになると予想された。それゆえ,ジョンはこれを感情曝露のいい機会であり,実家の地下室に一人でこもることに対する適応的な代替行動になると考えた。ジョン曰く,テニスの腕前は「悲惨な」ものだったため,プレー中に様々な嫌な感情が駆け巡ったという。しかし,ジョンは回避もEDBs(怒りの爆発)もしなかった。また,友人の輪に加わってその状況をおもしろいと思うことができた。その後は彼らと昼食もともにしたが,これはジョンが家に閉じこもっていたら到底起こりえないことだった。 多くの点で,これはジョンにとって修正感情体験として機能した(Hayes, Beck, & Yasinski, 2012):「ぼくがひどい出来だったのは彼らにとっては問題ではなかったんです。(ダブルスのパートナーが)ときどき苛立っているのがわかりましたが,それもずっとではなくて……ぼくは完璧でなくてもよかったんです……ありのままでよかったんですよね……くだらないことばかり考えずにいると,人生もいいものですね」 同じような学習は,ジョンが階層表にあるほかの課題に取り組んだときにも体験できた。ジョンは,兄のリレーに出るのを自分がどこかで「とりやめ」たがっていると話していたが,結局参加した。ジョン:走る距離もそうでしたし,いい結果を残したい気持ちから,神経質になっていたんです……勝ちたいとまで思っていました。第一区間の5マイル付近で,ハムストリングがプチッといったんです……動かなくなって,燃えるような感じでした。走るのをやめざるを得ませんでした。治療者:それは残念でしたね……痛みのほかにも何か覚えている体験はありますか?ジョン:ただ本当に気分が悪かったです。たぶん,脚に意識が向いていないときは,失望と,少し恥ずかしさがあったと思います……みんなをがっかりさせたと感じていました……。治療者:その気持ちは続きましたか? それから何が起こりましたか?ジョン:正直に言うと,ぼくの意識はときどきネガティブなところに戻っていきました……でもその瞬間にとどまろうと意識もしていました。「これがぼくのすべてじゃないんだ。ひどい事態だけど,一生懸命頑張っているチームメートの力にならないと……たぶん脚はほぐれるだろうし,そのうちまた走り始められる」みたいな感じで。治療者:それは本当にすごいですね。それこそ本物の柔軟性と反応性です。失望を認めて,受け入れることさえしました。それでも現在にとどまって,目の前の状況のなかで最も重要なことを成し遂げることを選んだのですね……。 ジョンはチームのためにさらに数マイル走ることができたが,比較的遅いペースだったうえ,最終的には期待された距離のおよそ半分しか走ることができなかった。兄がジョンの怪我を心配し,脚を痛めた後もチームのメンバーとして頑張り続けたことを感謝してくれたとジョンは語った。仮に,ジョンが怪我に反応して内に引きこもって「停止」してしまったなら,兄やチームメートは違った反応をしたかもしれない。実際は,ジョンが走り始めて間もなく感じた痛みやそれとわかる絶望が,すぐにチームメートの共感と支援を引き出し,その後のジョンの柔軟性(現在に焦点を当て直して仲間のために行動した)

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