2535筋学を築き上げた人々
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 時代を紀元後の西暦初期に移そう.ペルガモン生まれでアレクサンドリアの学校で学んだギリシャの医師が165年にローマに移り,そこで解剖学の一定の知識を広めることになる.その人物こそはガレノスである.彼は理論に基づいた診断の重要性,そして解剖技術の精密さによって瞬く間に有名になった.彼はウシ,ブタ,サルといった動物の解剖のみ行ったようだが,彼の描写する舌の筋肉,口蓋下部のような特定の部分の精密さは,それらが動物解剖3)のみから描き出されたとは思えないほどであった.筋肉の機能という面では,ガレノスはアリストテレス学派の考えを継承しており,動物霊気が脳に降りてきて,そこで霊が微妙に気体と血液と混ざり合い,神経に沿って管を通り筋肉に到達するとしている.しかしながら彼は,切除されたばかりの筋肉,つまり無意識的に切られたか刺激されたばかりの筋肉には収縮する能力が残存しているという事実を明らかにしたおそらく最初の人物といえるであろう.また動きの種類について分類した最初の人物でもあり,筋肉を主働筋と拮抗筋に分類した.同時に彼は能動的な姿勢における筋緊張(トーヌス)について語り,神経の切断がその後の筋収縮を断ち切ることの発見者でもある.つまり筋学はガレノスによって完全に生まれ変わり,決定的な進歩を遂げた.彼の教えはその後1300年もの間4)あらゆる医学知識の基礎となってきたことに一切の疑いはなく,その意味で最も長く続いた学説といえる. 中世の時代すべてを通じて,スコラ派教育の圧力によってこの分野でアリストテレスとガレノス以外の説が認められることはなかった.人体の中に神によって作られた機械があると考えたデカルト(Descartes)が現れるまでは,神経内の細い管に保護されて脳から筋肉へと容易に流れる動物霊気が人体を支配していると考えられていた.ガレノスは彼の考えるシステムを構築するために解剖を拠り所としていた.そのシステムを進化させ,ガレノスが独占していた理論を打ち破ろうとしたのは,他の解剖学者である.しかし新しい解剖を希求した最初の人物は,ジョット(Giotto de Bondone)やドナテッロ(Donatello)といった画家であったということは興味深い.レオナルドとアンドレアス 現在,レオナルド・ダ・ヴィンチ(Léonard de Vinci)の手帳をみると,まず当然のことながら美的な印象を受ける.レイアウト,構成,鏡文字,筆致の正確さ,モデルの柔和さ,精緻さ,ドレープの重さ,すべてが素晴らしいとしか言いようがない.この600余りの図板を見たとき,その背後に40~45年にわたる研究と解剖があることをすぐには読み取ることはできない.レオナルドが使った道具は(彼はそれを明示することを好んでいたが)ハサミ,ノコギリ,ナイフである.彼がなぜ描写したのかと言えば,言葉よりも絵のほうがこの分野においては優れていると知っていたからだ.たとえ彼が用いる言葉が模範的に簡潔で明快なものであったとしても.ヒトの解剖をよりよく理解するために,彼はガレノスのようにウマやイヌ,ネズミ,鳥,カエルの解剖とヒトのそれを比較することができた.しかしレオナルドはヒトの死体の解剖にも同様に頼った.彼は死ぬ間際にアラゴン(Aragon)の枢機卿参与におよそ30体の死体を解剖したと告解した.おそらくフィレンツェのサンタ・マリア・ヌオーヴァでのことであろう.  レオナルドによって筋肉はさらに正確に定義付けられることになる.彼は専門用語について,6  筋学を築き上げた人々 ~L’HOMME DE CHAIR~

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