3A 傷ついた脳も回復する―マルトリとトラウマの関係と支援―3子ども以上に「ほめて育てる」ことが大切だということではないだろうか.脳は必ず回復する.もちろん,それは簡単ではないが,根気よく子どもに寄り添い,信頼関係を築くことで,愛着関係を再構築できる.そうすることで,脳は回復するのである.脳の傷は回復する最近の脳科学研究では,マルトリによるトラウマ体験と身体症状の関連が多く報告されている.筆者らは2021年に,マルトリによるトラウマがメチル化年齢を加速させることを報告した 5).2歳から9歳までの国内のマルトリ経験をもつ子ども56名の頬粘膜から採取したDNAを調べた結果,健常な子どもと比べてメチル化年齢が加速していることが確認されたのである.また,オキシトシン遺伝子のメチル化と脳活動の関連を調べた研究では,身体的なマルトリを受けた重症の子どもたちにおいて,脳内の特定の領域で機能的な結びつきが強化されており,人の顔を視界に入れた際に,罰を予期して過剰に反応するという嫌悪学習が起こることが明らかになった 6).さらに,この過剰な反応と遺伝子のメチル化が密接に関連していることもわかった.つまり,マルトリによるトラウマ体験はさまざまな症状や問題行動と結びついているのである.しかし,オランダで行われた退役軍人の心的外傷後ストレス症(posttraumatic stress disorder:PTSD)患者を対象とした研究では,メチル化が進行していたとしても,心理療法によって症状が改善した患者は脱メチル化が進み,回復したと報告されている 7).このことから,トラウマによるさまざまな症状も回復が可能であることが示唆される.すなわち,「癒えないと思われた傷も回復する」ということが,臨床の現場や筆者らの研究を通して徐々に明らかになってきている.長期間にわたってマルトリ(虐待やネグレクト)の環境にいた子どもの事例がある.マルトリを経験すると,成長ホルモンの分泌が低下し,身体の成長が遅れることがある.しかし,その環境を改善し,安定した環境におかれることで,愛着(アタッチメント)が再び形成され,成長の遅れが驚くほど回復することがある.これは小児科医がよく目にする現象である.成長期の子どもの脳は,適切な治療を受けることで回復が見込める場合が多いが,トラウマが複雑な場合は,治療には長い時間がかかることを忘れてはいけない.特に,複合的なトラウマ体験がある場合,こころの問題が悪化し,さまざまな精神的な疾患や不調が現れるリスクが高まるからである.以下に,自験例を紹介する.◦Case 1 反応性アタッチメント症の12歳男児◦【症例】12歳男児この男の子は実母からさまざまな虐待を受け,最終的には育児放棄されてしまった.その後,離れて暮らしていた実父に引き取られ,子育てのやり直しがはじまったが,うまくいかないことが多くあった.たとえば,この子が「ゲームを買ってほしい」と頼んだときのことである.実父は「誕生日まで待ってくれれば買ってあげる」と約束した.しかし,この子は待つことができず,実父に包丁を向けてしまったのである.このようなことが何度かあり,地域の児童相談所に一時保護されることもあった.また,学いわゆる子どものトラウマとは何か?第1章
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