2582子どものトラウマ治療
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51A マルトリによって起こる多彩な症状―子どもの場合―51必要である,というのが彼の理論である 3).子どもが生き残る確率を上げるためには,危険を避け,安全なところにとどまらなければならない.しかし,大人になってから必要なスキルや知識を取得するためには,危険を冒して探索し,遊ばなければならない.その相反する2つの条件を満たすためには,安全なときにはよく遊び,危険になったら安全確保を優先することが必要となる.そのときに「安全基地」として重要な役割を担うのが養育者である.子どもは危険になると養育者を探し求め,養育者がいないと絶望し,泣き叫ぶ.養育者の元に戻ることによって安心し,また次の探索へと乗り出す.こうして子どもは安全と探索の2つのバランスをとって大人になっていく.ストレンジ・シチュエーションボウルビィの研究に一時期携わったエインズワースが後に行った実験が,「ストレンジ・シチュエーション」である 4).この実験のシナリオはこのようなものであった.最初に母子が今までに来たことにない部屋に入ってくる.その部屋にはたくさんおもちゃが用意されている.感じのよい女性が現れ,母親と話をして,子どもと遊ぶ.母親がその女性と子どもを残して部屋を出ていき,数分後に戻ってくる.入れ替わりに女性が部屋を出ていき,その後母親も部屋を出ていく.しばらくして女性が部屋に戻り,その後しばらくして母親が部屋に戻る(図1).この一連のドラマの間に子どもがどのような行動をするかを観察した結果,エインズワースは,子どもの愛着には3つのパターンがあることを発見した.母親が出ていくと不安を示し,帰ってくると喜んで落ち着く「安定型」.母親が出ていっても,不安を行動には表さず,母親が帰ってきたときも無関心に見える「回避型」.そして,母親が出ていくと極端に動揺し,母親が帰ったときにはあやされることに抵抗する「抵抗型」.エインズワースは,これらの型の違いは,育児法による違いであると結論づけた.常に愛情を示し,安定した安全基地を提供する母親の子どもは「安定型」になる.この理論には問題点がたくさんあり,現在では完全に否定されている部分もある.たとえば,母親に対して無関心にみえることもある自閉スペクトラム症(autism spec-trum disorder : ASD)は,遺伝的な要因に基づくものであり,育児の方法と関係があるとは言い切れない(ただし,愛着障害はASDと類似した症状を示すため,育児法によってASDの症状を示すことも事実である).また,母子の関係は,母親と子どもそれぞれが生まれもった個性や,環境,育児法などが複雑に絡み合っているので,単純に因果関係を断定できるものではない.さらに,この時代の「愛着」の対象はほぼ母親に限定されていたが,現在では,選択的,つまり安定して安心感のもてる養育者であれば誰でもよいとされている.代理母実験ボウルビィと同じ時代に,サルを使って愛着の研究をしたのが,ウィスコンシン大学のハリー・ハーロウである.ハーロウは,アカゲザルの群を飼育している間に,小さいときに母親と離されたサルがまともには育たないことに気づいた.当時,病気によるサルの全滅を避けるため,生まれたばかりのサルを他のサルと隔離したのだが,栄養も温度も衛生もきちんと正しく管理されているはずの子ザルがうまく育たず,死んでしまったのである.試行錯誤していくなかで,子ザルにはやわらかく包んでくれるものが必要なのだとわかる.マルトリの臨床的アセスメント第2章

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