向精神薬を紐解く
定価:6,050円(税込)
はじめに
「身体拘束は業務上必要だからやっているんだよ.何が問題なの?」
日本で初めて身体拘束の実施状況を調査したいと申し出た際の研究プログラム責任者の言葉でした.
それから10年ほど経ちました.高齢者が入院して治療を受ける機会が増え,一般病院において,せん妄や入院関連機能障害など,入院に伴うリスクがあり,必ずしも入院での治療が優れているわけではないことも徐々に知られるようになってきました.入院料通則には身体拘束に関する事項が入り,どの医療機関でも身体拘束最小化が議論にあがるようになってきました.はじめて身体拘束の調査の交渉をしたときのことを思い出せば,隔世の感があります.
いろいろな学会で身体拘束の話題が取り上げられる一方,その検討内容を聞くと「あれっ?」と思う機会もでてきました.
「身体拘束は業務の問題でしょ? どうして医療安全がかかわるの?」
「現場が患者のことを思って拘束をしているんだ.職員を守る処置なのにどうしていけないのか?」
「身体拘束は看護の業務の話でしょう.医者は関係ない」
身体拘束は,重篤な有害事象をもつ医療処置であることが知られていないのかもしれません.
一方では別の意見もあります.
「身体拘束がゼロにならないのは病院幹部の気合いが足りないからだ」
どうして海外で身体拘束最小化と表現され,身体拘束ゼロではないのか,知られていないのかもしれません
「身体拘束を減らした分,誰がその負担をかぶるんですか,現場ですよ!」
どうも身体拘束最小化の議論が,身体拘束を「する・しない」の議論にすり替わってしまうようです
議論をうかがうなかで感じたのは,身体拘束をめぐる検討に「非常に誤解が多い」という点です.身体拘束の検討は,高齢者のケアの質を高めるか,いかに本人の意向に沿った治療を提供するのかを議論する話です.しかし,業務であったり,安全の話であったりと部分的な議論になりがちです.
身体拘束の議論は,海外では1980年代から行われてきたテーマです.しかし,海外では2000年頃に監査を含めた枠組みができあがった一方,当時日本の一般病院ではほとんど知られていませんでした.その時間差もあるのでしょうか,多職種の関心になりにくいようです.
本書は,身体拘束をめぐる議論の全体像を紹介することを目指して企画されました.身体拘束とは医療処置の一環として扱われる議論であること,身体拘束の最小化の議論とは,実はせん妄や認知症を知り,多職種でゴールを共有し,ケアの質を高める取り組みであることを中心に関連する論点を網羅することを意識しました.特に,身体拘束は医療安全と高齢者ケアの両者の重なる領域であることから,医療安全の目線と高齢者ケアの観点(せん妄,認知症,転倒,緩和ケア),倫理的な観点から詳しく紹介していただきました.
難しい論点にもかかわらず,快く執筆を引き受けていただきました著者の先生方に,この場を借りて篤く御礼申し上げます.本書が,日本の身体拘束をめぐる多職種の議論の基盤となれば幸いです.
2026年9月
国立がん研究センター東病院精神腫瘍科
小川朝生
はじめに
執筆者一覧
第1章 身体拘束の現状
1. 身体拘束とは何か
2. 日本の身体拘束の現状と統計
3. 身体拘束の理由とその実態
4. 身体拘束がもたらす影響―身体的・精神的
5. 海外での実情と日本との比較
第2章 せん妄の予防と対応 ―身体拘束最小化の視点から
1. せん妄とは
2. せん妄がもたらす問題と身体拘束との関係
3. せん妄の発症機序―3 因子モデル
4. せん妄の早期発見と評価
5. せん妄に対する非薬物療法
6. せん妄に対する薬物療法
7. 症例から考えるせん妄対策と身体拘束最小化
第3章 認知症の行動心理症状の予防と対応 ―身体拘束最小化につなげる
1. 超高齢社会における認知症と身体拘束の課題
2. 認知症の病型と症状の多様性
3. BPSD と身体拘束の構造理解
4. BPSDの評価と記録―臨床推論の可視化と実践
5. BPSD の低減を通して身体拘束の回避につなげる個別ケア
6. 身体拘束最小化に向けた統合的アプローチ
第4章 病院での高齢者の転倒への対応と身体拘束最小化につなげる取り組み
1. 転倒とは―転倒は高齢者にとって一般的な出来事でもあり症候群の一つである
2. 転倒への対応の姿勢
3. 転倒予防の取り組み
4. 転倒=失敗ではない視点
5. 転倒を責めない組織文化の醸成をどうするか
6. QOL を高めるための多職種連携による転倒予防の取り組み
7. まとめ
第5章 身体拘束と肺塞栓
1. 身体拘束と肺塞栓
2. 精神科臨床における身体拘束と肺塞栓の歴史
3. 肺塞栓訴訟の動向
4. 訴訟の動向を受けて現場で考えるべきこと
5. 静脈血栓塞栓症(venous thromboembolism:VTE)の疾患概念
6. 疫学
7. 身体拘束中の肺塞栓予防
8. 肺塞栓早期発見のために―身体所見
9. 肺塞栓早期発見のために―検査
10. おわりに
第6章 「法的・紛争リスク」からみた拘束 ―拘束をした場合としなかった場合
1. はじめに考えておくこと
2. 法からの問いに答えることができるか
3. 5 つのポイント
第7章 患者安全と身体拘束
1. 患者安全の目標と身体拘束
2. 身体拘束がもたらす患者安全上のリスク
3. 身体拘束を行わないことによる患者安全上のリスク
4. 最小拘束の原則
5. ジレンマ問題の解決に必要な「4 つの手続き」
6. 定型化された医療事故調査手法の考え方の応用
7. 身体拘束の安全性に関する国際的な潮流―JCI が重視する「身体拘束を前提としないケア」
8. 身体拘束率と患者安全指標としての視点
9. 患者参画型医療と身体拘束
10. まとめ
第8章 コミュニケーションでどのような工夫ができるか
1. 認知機能障害に対応した基本的コミュニケーション
2. コミュニケーションに障害がある人の痛みの評価
3. まとめ
第9章 環境調整・ケアの工夫 ―なぜ環境調整とケアの工夫が必要なのか
1. 環境調整
2. ルート類
3. センサー類等のデバイスの活用
4. 身体拘束解除カンファレンスの効果的な運用
5. まとめ
第10章 終末期せん妄における身体拘束と家族支援
1. はじめに
2. せん妄の基本概念と終末期における特殊性
3. 終末期せん妄のアセスメント
4. せん妄予防と非薬物療法―身体拘束最小化の前提として
5. 終末期せん妄における身体拘束最小化の実践
6. 終末期せん妄の薬物療法
7. 緩和的鎮静―終末期せん妄における最終手段
8. 家族への支援
9. 組織・チームとしての取り組み
10. 在宅・ホスピスにおける終末期せん妄の特殊性
11. まとめ
第11章 どのような取り組みが身体拘束最小化につながるのか
1. 拘束最小化のための指針と運用
2. チーム医療による対応策
3. 教育と意識改革
4. 成果指標と継続的改善
5. 院内体制とリーダーシップ
6. おわりに
第12章多職種で取り組む
施設で取り組む① 認知症のある方への多職種チームでの協働
1. 認知症サポートチームの立ち上げから身体拘束廃止委員会の発足まで
施設で取り組む② 看護局の取り組みを基盤とした身体拘束最小化チームの構築
1. 身体拘束最小化の取り組みが始まった経緯
2. 身体拘束最小化に向けた取り組み
3. 身体拘束最小化チーム発足(2024年 4月)
4. 症例:身体拘束最小化チームラウンドの実際
5. まとめ
施設で取り組む③ 相手を人として尊重するケアの実践を土台とした身体拘束最小化の取り組み
1. はじめに
2. 土台作り―相手を人として尊重するケアの実践
3. 体制整備:安全管理部門と連携した看護部倫理委員会による身体拘束最小化の取り組み(2019~2023年度)
4. 身体拘束最小化チームの取り組み(2024年度~)
5. 多職種チームによる身体拘束最小化の実践例
6. まとめ
施設で取り組む④ 多職種でつなぐ身体拘束最小化への道
1. 筑波メディカルセンター病院での取り組み
2. 事例:高次脳機能障害とせん妄を併発し,転倒を繰り返した患者への多職種アプローチ
3. 本症例をふりかえって
施設で取り組む⑤ 精神科リエゾンチームでの介入
1. 症例提示
2. まとめ
索引