
内科医のための睡眠薬の使い方
定価:4,180円(税込)
はじめに
向精神薬の歴史はさほど古くない.著者が精神科医になった1974年には抗精神病薬が使われ始めてから20年を経過し,錐体外路性副作用が必発であった.精神病症状の改善は錐体外路症状の出現と相関するといった誤った仮説や,抗精神病薬の高用量投与などが推奨された時期であった.うつ病治療にはおもに三環系抗うつ薬が用いられ,せん妄や重篤な副作用がしばしば出現した.睡眠薬としてはいまだバルビタール酸やブルムワレリル尿素が使われていた時代で,ベンゾジアゼピン系睡眠薬が発売されたときはその安全性に目を見張ったことを覚えている.その後,非定型抗精神病薬が発売されて統合失調症治療に錐体外路症状は必須でなくなり,SSRI/SNRIの登場で抗うつ薬による副作用が軽微になり,メラトニン受容体作動薬やオレキシン受容体拮抗薬といった非鎮静系睡眠薬の登場で,睡眠薬依存のリスクが軽減した.
向精神薬の開発にはしばしば偶然の発見(セレンディピティ,serendipity)が大きく関与する.最初のアルコール依存症治療薬(ジスルフィラム)はゴム工場の労働者がアルコールに過敏になることを知った研究者が,1948年に自ら体験して発見した.最初の統合失調症治療薬(クロルプロマジン)は抗ヒスタミン薬の開発中にフランスの外科医が偶然発見し,1952年に発売されるとそれまで治療薬のなかった精神科医療に革命的な変化をもたらした.クロルプロマジンに続けと第2の抗精神病薬の探索中に,最初の抗うつ薬(イミプラミン)が偶然みつかり,1958年に発売されて多くのうつ病患者を救った.最初の抗不安薬(メプロバメート)は抗生物質の開発中に偶然発見され,1955年に発売されると「奇跡の薬」として瞬く間に世界中に広まった.さらに安全なトランキライザーを開発しようと多くの製薬会社がしのぎを削っていた1957年に,研究室を閉鎖しようと実験棚を片づけていた研究者が偶然ベンゾジアゼピンを発見した.最初の気分安定薬(炭酸リチウム)は誤った仮説に基づいて行われた実験から1949年に発見されていたが,製薬会社が関心を示して上市されたのは1970年であった.最初の抗認知症薬(アリセプト)も1980年代に脂質異常症の治療薬を開発中に偶然発見されている.
向精神薬には発売後に大きな実績をあげてブロックバスターとなった薬物もあれば,大きな期待とともに発売されたものの実績をあげられないまま静かに消えていった薬物もある.一時期はトップランナーであった向精神薬が次第に使われなくなっていく一方,古い薬剤が細々とではあるが今日までずっと使われ続けているものもある.個々の向精神薬には栄枯盛衰と波乱万丈の歴史があり,このような経緯を知ることで向精神薬への理解が深まり,日常臨床での使用に熟達できると思われる.
夏苅は精神科で治療中の患者・家族に対して,「もし,医師を選べるとしたら,どのような基準で選びますか?」というアンケート調査を行った.「人柄・性格,勤務年数,医学的知識,知名度,処方能力,出身大学,コミュニケーション能力,病院名,すぐ行動できる力,口コミ」の10項目の回答を用意したところ,1位は「処方能力」,2位は「人柄・性格」,3位は「コミュニケーション能力」であった.向精神薬の処方がずさんな精神科医は患者・家族にとって最悪であるとも述べている(夏苅郁子:精神科医療の7つの不思議.ライフサイエンス出版,2021).向精神薬を処方する医師は精神科医だけではない.睡眠薬などは内科医がより多く処方している.本書が向精神薬を処方する機会のあるすべての医師に役立つことを願っている.
2025年6月 松浦雅人
はじめに
執筆者一覧
略語一覧
向精神薬の受容体/トランスポーター結合特性
00 Introduction
向精神薬早わかりQ&A 1 to 22
Q1 向精神薬とは?
Q2 薬物四法とは?
Q3 指定薬物(危険ドラッグ)とは?
Q4 安定確保医薬品とは?
Q5 向精神薬発見のセレンディピティ(偶然の産物)とは?
Q6 向精神薬の薬物動態は?
Q7 高齢者に向精神薬を使用する際にはどんな注意が必要か?
Q8 向精神薬の血中濃度測定の意義は?
Q9 肝障害のある患者への向精神薬投与にはどんな注意が必要か?
Q10 腎障害のある患者への向精神薬投与にはどんな注意が必要か?
Q11 向精神薬による心機能障害にはどんな注意が必要か?
Q12 向精神薬による低ナトリウム血症の原因は?
Q13 向精神薬は胎児・新生児・乳児へどのような影響があるか?
Q14 経口投与する向精神薬の剤形は? 16/Q15 向精神薬の非経口投与法は?
Q16 後発医薬品(ジェネリック,GE)とは?
Q17 医薬品の命名法にルールはあるか?
Q18 臨床試験(薬物治験)はどのように実施されるか?
Q19 添付文書参照義務とはどのようなものか?
Q20 イエローレター(緊急安全情報)とブルーレター(安全性速報)はどんなときに作成・配布されるか?
Q21 薬価はどのように決まるのか?
Q22 医薬品リスク管理計画と新薬市販後調査とは何か?
第1章 抗精神病薬
抗精神病薬の歴史と現在
定型抗精神病薬〈各論〉
1.フェノチアジン系
2.ブチロフェノン系
3.ベンザミド系
4.その他
非定型抗精神病薬〈各論〉
1.セロトニン・ドパミン拮抗薬(SDA)
2.多元標的化抗精神病薬(MARTA)
3.ドパミン部分作動薬(DPA)
第2章 抗うつ薬
古典的抗うつ薬の発見
古典的抗うつ薬〈各論〉
1.三環系抗うつ薬
2.四環系抗うつ薬
3.その他の抗うつ薬
新規抗うつ薬の出現と隆盛
抗うつ薬の受容体結合特性と副作用
新規抗うつ薬〈各論〉
1.SSRI
2.SNRI
3.NaSSA/S-RIM
4.抗うつ作用をもつ非定型抗精神病薬
第3章 気分安定薬
気分安定薬の歴史と現在
気分安定薬〈各論〉
第4章 抗不安薬
ベンゾジアゼピン系抗不安薬の歴史と現在
ベンゾジアゼピン系抗不安薬〈各論〉
ベンゾジアゼピン系以外の抗不安薬の活用
ベンゾジアゼピン系以外の抗不安薬〈各論〉
第5章 睡眠薬
古典的睡眠薬の歴史
古典的睡眠薬〈各論〉
ベンゾジアゼピン系睡眠薬
ベンゾジアゼピンとベンゾジアゼピン受容体作動薬(Z 薬)〈各論〉
1.ベンゾジアゼピン
2.ベンゾジアゼピン受容体作動薬(Z 薬)
非鎮静系睡眠薬の発見と隆盛
非鎮静系睡眠薬〈各論〉
1.メラトニン受容体作動薬
2.オレキシン受容体拮抗薬
(附)過眠症の治療
(附)過眠症治療薬〈各論〉
(附)むずむず脚症候群の治療
(附)むずむず脚症候群治療薬〈各論〉
第6章 抗発作薬(抗てんかん薬)
抗発作薬の歴史と現在
古典的抗発作薬〈各論〉
ベンゾジアゼピン系抗発作薬〈各論〉
新規抗発作薬〈各論〉
希少疾患用抗発作薬(オーファンドラッグ)
第7章 小児精神神経疾患薬
小児精神神経疾患への薬物治療の歴史と現在
小児精神神経疾患薬〈各論〉
第8章 アルコール依存症治療薬
アルコール依存症治療薬の発見
アルコール依存症治療薬〈各論〉
第9章 抗認知症薬
抗認知症薬の歴史と現在
抗認知症薬〈各論〉
(附)脳循環・代謝改善薬
付 録 本書に登場する向精神薬一覧
索 引
Column
1 肝代謝酵素シトクロムP450(CYP)
2 各種疾患の治療満足度・薬剤貢献度
3 向精神薬の筋注のポイントと注意点
4 プラセボ効果とノセボ効果
5 優越性試験,同等性試験,非劣性試験とは
6 エビデンスの信頼性
7 リスク比,オッズ比,ハザード比の違い
8 創薬の動向
9 アカシジア
10 アドレナリンかエピネフリンか
11 適応外(オフラベル)使用
12 クロルプロマジンの適応にある「人工冬眠」とは?
13 ブロックバスター
14 バルベナジンは遅発性ジスキネジアの初めての治療薬
15 ジスキネジアと遅発性ジスキネジア
16 ヘミングウェイはレセルピン誘発性うつ病?
17 抗うつ効果発現に時間を要する理由
18 抗コリン薬リスクスケール
19 NNT とNNH
20 ネズミの楽園実験
21 バルビツレートによる自殺
22 睡眠薬と文豪① 芥川龍之介とバルビタール中毒
23 サリドマイドの数奇な運命
24 睡眠薬と文豪② 太宰治とブロムワレリル尿素
25 睡眠薬と文豪③ 川端康成の睡眠薬中毒
26 OTC 薬
27 推奨される年齢別睡眠時間
28 鏡像異性体(エナンチオマー)あるいは光学異性体
29 睡眠と覚醒の切り替えスイッチ
30 うつ病と不眠症との関係
31 3つの二重オレキシン受容体拮抗薬(DORA)の副作用
32 悪夢の副作用のある薬剤
33 色川武大のナルコレプシーとの闘い
34 公知申請とは?
35 病院前治療/Rescue treatment
36 重症薬疹
37 バルプロ酸によるカルニチン欠乏症と高アンモニア血症
38 熱性けいれんの治療
39 難治てんかんへの「シャーロットの贈り物」(医療大麻)
40 ICD-11 では「障害」から「症」へ
41 夏目漱石の「坊っちゃん」はADHD であった
42 ザシキワラシ(座敷童子)はレビー小体病の幻視?
43 アルツハイマー型認知症のバイオマーカー
44 脳内老廃物の排出機構グリンパティックシステム
45 ドラッグ・リポジショニング